蓮華山 普門寺

当山は永正10年 (1514) 鏡運房の開山。

観音堂縁起には、村で疫病がはやった年のこと、

ここに(観音堂の場所)大きな桑の老木があり、

村の老人が休んでいると、つい寝込んでしまい、

夢の中に大きな蛙が現れ、曰く、

『都より発心の修行の行者が来る。

頼ってこの地に観世音菩薩と観音堂を建立せよ』と、

お告げがあり、数日後、正夢となり、

老人が行者にその話をすると

『自分も同じ夢を見てこの地に来た』と告げたと言う。

その不思議さに村じゅう驚き、

村中の人々で建立し疫病も治ったという。

観音堂

 観音堂は寛保2年に再建され現在に至る。このお堂の四方には十二支の干支が彫られていて大変貴重なものである。天明8年上杉重定公が大病の為、観音堂で大祈祷がおこなわれると不思議に良くなり、上杉重定公自らお礼参りをされたことが木札に記されている。この観音様は『イボ取観音』といわれており、観音堂正面にある石を一個借り、毎日イボをこすると不思議に治るといわれ遠くからも来られ深く信仰されている。

地蔵堂

 当山縁起には文永3年尼僧が地蔵菩薩を奉り一週間供養した。この年疫病が流行し村のほとんどの人が病に伏し、田植えも出来ず困り果てていた。おばあさんが昼夜毎日地蔵尊にお参りした、次の朝若者は病気が良くなり植えることが出来た。感涙し地蔵尊にお参りに行くと地蔵尊の足元が泥で汚れており、地蔵様が田んぼを見て周り、村の疫病を取り除いてくれたと遠くの村々にも知り渡り歓喜思いをなし村中の人々が集まり二夜三日供養した。この時より田植地蔵尊と呼ばれ、まにあわせ地蔵とも呼ばれている。この地蔵堂は元文元年再建されている。春と秋にお祭りがされ、特に秋11月3日は室町時代より伝わる、秘法、柴燈大護摩火渡りが厳修され県内は言うに及ばず、県外からも善男善女の家族で参拝が絶えない。参拝者には新米の餅をついてふるまっている。